今日のはぽん=Everyday HAPONing=徳を積むとは

こんにちは、HAPON新宿の李です!

毎週火曜日に開催しているCOFFEE BREAK TIME、

昨日は珍しく、酒井さん・中井さん・私、

のスタッフ3人だけの参加だったのですが、

その前日に、酒井さんと話して盛り上がった

1月から始まった新しい某ドラマの話から発展して

学生時代に流行ったものや修学旅行のエピソードなど

各々の学生の頃の懐かしい話で終始盛り上がりました。

みんな出身地が違うので、みんなから聴く

地元の話はいつも面白く、楽しませてもらっています。

スタッフだけでなく会員さんやビジターさんなどの

地元の話なども聴いてみたいなあ、と密かに想っています。

さて、昨日の話のきっかけとなった新しい某ドラマとは、

日テレの「ブラッシュアップライフ」という日曜ドラマで、

平凡な人生をもう一度“赤ちゃんから”やり直す…地元系タイムリープ・ヒューマンコメディー

「ブラッシュアップライフ」公式Instagram

なのですが、ただやり直すのではなく、

徳を積む

というミッションがあります。

2周目の人生で麻美は徳を積みながら人生をやり直すのですが、

1話で、1周目の人生で保育園時代に

保育園の友達・玲奈ちゃんの名字が突然変わり、どこかへ引っ越し同じタイミングで洋子先生がいなくなった

「ブラッシュアップライフ」公式サイト

出来事を、2周目の人生を歩む麻美は、

玲奈ちゃんのお父さんが洋子先生にポケベルの番号を書いた紙を渡しているところを目撃。真夜中に公衆電話から玲奈パパにメッセージを送ることで、二人が不倫関係になることを未然に阻止!

「ブラッシュアップライフ」公式サイト

したんです。

この件めっちゃ面白かったのですが、同時に


「徳を積む」って 、人のためではなく自分のためよなあ…?

それって相手にとってはちょっとお節介にもなるよなあ…?

と、いろいろ疑問が湧き始めました。

そんなことを想っていたら、先日、

「徳を積む」について面白いエピソードを書かれている

作家・岸田奈美さんのnoteの記事、

車いすの母とミャンマーに行ったら、異国の王様だと思われた

に出会いました!!

とても面白い記事なのでぜひ全文を読んで欲しいのですが、

100字のことで済むことを2000字で書く、岸田奈美さんなので

めっちゃ長い(笑)。なのでここでは、以下の通り一部を抜粋して

掲載させていただきます(それでも結構長い)。

ミャンマーは、アジアの最貧国(後発開発途上国)。インフラは、50年前の日本だと言われている。きっと、道路はひび割れだらけ、砂利道だらけ。エレベーターどころか、スロープさえあるのか、怪しい。だめだ。どうやっても、母が車いすで移動できる想像がつかなかった。(中略)私は腹をくくって、ミャンマーへと飛んだ。ヤンゴン国際空港に降り立ち、迎えのバスに乗って、車窓から眺めた街のバリアフリー。出国前の想像と、寸分違わない絶望っぷりだった。

目的地のレストランに到着して、バスを降りた私と母は。さあこれからどうやって移動しようかな、で頭がいっぱいだった。(中略)しかし、その心配は秒で終わった。秒で2人の青年がやって来て。秒で母の車いすを押して行った。えっ?あまりのスムーズすぎる流れに、私は「オカンが盗まれた!」と思った。もちろん、全く盗まれてはおらず。青年たちの手によって、あれよあれよと言う間に、車いすは急な坂道を越えて。レストランの奥まった席に、キョトン顔で母が鎮座した。


結論から言うと、ミャンマーに滞在した5日間。屋外で、母が自分の手で車いすをこいだ時間は、なんと5分以下だった。こいでない。母、全然、自分でこいでない。寺院、学校、ホテル、農村、病院。いろんなところへ行ったが、バスから降りた瞬間、車いすを押してくれる人が現れる。しかも、店員さんとかじゃない。普通の。普通の通りすがりの人が。どこからともなく、現れる。
男性も、女性も、大人も、子どもも。「いやあんたが大丈夫か」と心配したくなるような、ガタガタのお爺さんまでも。そんで、何も言わず、当たり前のように。坂道では車いすを押し、階段では車いすを持ち上げ、去っていく。(中略)それに、もっと不思議なこともあった。「ありがとう」と母が伝えると、助けてくれた人はキョトン顔をするのだ。(中略)日本では何もかもが、ありえない。


真相は、ミャンマーの宗教上の考えにあった。ミャンマー人の90%近くは、仏教を強く信仰している。それも日本とは違う、上座部仏教だ。輪廻転生を信じ、現世で徳を積めば、より良い来世を送ることができると考えられている。そう。彼らは皆、徳を積んでいたのだ。車いすに乗る母を、助けることによって。バリアだらけの街で、車いすに乗っている母は、絶好の積み徳ボーナスチャンスだったのだ。スーパーマリオブラザーズで言うところの、1upキノコだ。彼らは、彼ら自身の来世のために助けたまでだから、お礼を言われる方がめずらしいそうだ。だからあの反応だったのか、と納得した。


岸田奈美のnote 「車いすの母とミャンマーに行ったら、異国の王様だと思われた

これ、まさに「ブラッシュアップライフ」の麻美やん…と

一人勝手にシンクロしていたのですが、やっぱり

「徳を積む」のは利己的要素を感じ

ちょっと「寂しさ」に似たものを私は感じてしまいました。

そしてこの岸田さんの記事は、

ニューヨークでのエピソードに続きます。

2019年5月。私たち親子は、ニューヨークにやって来た。街のバリアフリーは、設備や道路には古さが残るものの、ミャンマーに比べればずっと進んでいた。でも、お店の入り口には2段以上の段差があったり、重い扉があったり、地下鉄のエレベーターに至ってはほとんどが故障中で、困る場面もそこそこあった。どうしようかな、と立ち止まってみたけど。道行くニューヨーカーたちは、足早に通り過ぎていくだけだった。ミャンマーみたいに、人混みの中から突然誰かが駆け寄ってくることはなかった。

私たちは、とあるコンサートホールに立ち寄った。車いす席などは無く、通されたのは普通のスタンディングエリアだった。当然、車いすに乗っている母からは、アーティストの立つステージは見えない。最前列なら見えそうだったが、すでに満員で埋まっていた。「まあ、音だけ聴ければいっか」と、二人で話していると。後ろに立っていた人が、声をかけてくれた。「そこからじゃ何も見えないでしょ?前に行きましょうよ!」「えっ、でも……他の人に悪いし……」「大丈夫!Excuse meって言えば、ちゃんと譲ってくれるわよ。ニューヨーカーは心が広いから」言うなり、その人は母の車いすを押し「エクスッッッキューズミィイイィィ!」と、叫び始めた。

前列の人たちは、最初「なにごとか」と振り返るものの、母の車いすを見るなり「OK!」「Sure!」と、笑顔で譲ってくれた。そして母は、ステージがばっちり見える位置まで移動できてしまったのだ。「ウフフ、私まで前に来れちゃってラッキー、なんちゃって♪」とおどける彼は、めちゃくちゃカッコ良かった。ライブも最高だった。

ニューヨークは、世界で最も多様な人が入り交じる街。性別、年齢、国籍、宗教が違う人が、当たり前に暮らしてる。街で暮らすホームレスだって沢山いる。こんなにも多様な人がいるから、考えていることもそれぞれ違う。だから、いちいち人に声をかけて、手助けを押しつけたりしない。でも、困っている人となれば話は別。「手伝って!」と助けを求めれば、快く応じてくれる人が多い。


街でニューヨーカーたちが助けてくれなかったのは、冷たいからではなく。
私たち親子が、困っていなさそうだから、気に留めなかっただけなんだ。 (中略) 最初は戸惑っていた母が「なんか、居心地が良い」と笑った。 (中略) 母は日本の街にいると、気まずい思いをすることがある。例えば、遠巻きにジロジロと見られること。きっと「あの車いすの人大丈夫かな?」と心配してくれていると思うのだけど。「大丈夫ですよ!」って、自分から大声で言うわけにもいかないし。ニューヨーカーたちの「車いすに乗っている人だけど、困っていなかったら大丈夫でしょ!」と、さっぱりした対応が、母はなんだか嬉しかったみたいだ。

本当の助け合いって、身体を動かして助けることより、視点を動かして相手のことを思う、なのかも。母と同じ車いすに乗っている人でも、先回りして助けてほしい人もいれば、放っておいてほしい人もいる。ミャンマーが心地良いか、アメリカが心地良いか、日本が心地良いかも、それぞれ違う。
だから、大切なのは、相手の視点に立ってみること。


岸田奈美のnote 「車いすの母とミャンマーに行ったら、異国の王様だと思われた

わたしは、ニューヨークの、この

適度な距離感

が居心地いいなあ!と思ってしまったのですが、

それは距離感だけでなく、岸田奈美さんの言う

「視点が相手の視点に立っている」

エンパシーを感じれるからかなーと思いました。

徳を積むことで人の助けやためにもなりますが、

私は、相手の視点、利他的な視点で

行動することで人の役に立ちたいなあ

と、なんだか哲学的なことを感じたここ2~3日でした。